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50回まで投げさせるのは美談か虐待か

高校野球軟式の準決勝で、投げ合いの末50回まで行ったことが
話題となっています。

そして、この再々再試合を一人で投げ抜いた中京高校の松井投手
(と対戦相手の石岡投手)の肩を心配する声も上がっています。

で、この話、根性論の果ての「美談」なのか、年端もいかない
高校球児を酷使する「虐待」なのか。

よく勘違いされていますが、
「投げ続けて壊れたら(故障)どうするんだ!」とか、
逆に「投げさせないと本人の悔いが残るだろ!」
という表面的な議論が本質ではありません。

なぜなら、監督が「まだいけるか?」と言えば、投手は100%
「行きます」と言います。
では、監督が「もうやめとけ」と言えば、投手は100%
「まだ行けます」と言います。

なので、投手の意思を尊重すれば、必ず「続投」になるのです。

しかし、ここで重要なのは、上述の通り、当事者の投手には
良くも悪くも「判断能力がない」ということです。


投げ続け、壊れず、優勝したとしても、プロ入りし野球人生
を全うする選手は一握り。また投げ続けて壊れる選手であれば、
それまでの器。であれば、一世一代の晴れ舞台で完全燃焼
したい(させてやりたい)、という考えも十分あるでしょう。

なので、高校野球の次元では、正直申し上げて、壊れたとか、
壊れなかったとかは、あくまで結果論でいいと思うのです。

ただ、一つだけ申し上げておきたいのは、指導者(監督)側が
「本人の意思」を言い訳には絶対にするなよ、ということです。

高校生という「判断能力のない当事者」になりかわり、続投と
故障の境目を見極めるのが指導者の仕事なのですから。

「本人の意思を尊重して続投させたが、その結果壊れた」
というのであれば、その指導者は失格だと思うのです。

大げさかもしれないですが、「自分があの選手をつぶした」と
公に言えるくらいの覚悟が指導者側に必要かと思います。

かつて、誰にも打てないスライダーと言われた伊藤智仁投手
(元ヤクルト)について、野村克也監督が、後に「積極的に
彼を登板させた事によって彼の選手生命を縮めてしまった。
申し訳なく思っている。」と述べているように。

続投への「判断力」と、故障リスクを問われる事への「覚悟」
が指導者側にあるか、という点が本件の本質かと思います。


公認会計士・税理士
大塚祐介
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